うっかり悟りを開いちゃった時の対処法
落ち着きましょう。
この記事は
eeic (東京大学工学部電気電子・電子情報工学科)その2 Advent Calendar 2018 - Qiita
の21日目の記事として書かれたものです。
M1の夏、研究室から帰宅した私は、それまでに経験したことのない激しい息苦しさを感じていました。意識が飛んでしまいそうなほどの苦しみに耐えながら布団の中にうずくまっていると、突然頭のてっぺんから腕にかけて「雷に打たれた」と言いたくなるような衝撃が走りました。そして、世の中の全てのものが私と一体化したような不思議な感覚になりました。私にはこれが何なのかよく分からないのですが、小さい頃に読んだ手塚治虫の『ブッダ』の悟りのシーンに似ていたので、「悟り」と呼ぶことにしています。
その不思議な感覚の中で、沢山の映像が見えてきました。「軋んだような音を立てる、針がキラキラした大きな羅針盤のようなもの」「脳の中の情報が0と1まで分解される様子」「受精の様子」、、、などなど。それはまるで、誰か別の存在に無理やり見させられているかのようでした。映像が終わったあとは、またすごい速さで、今度は言葉が上から下へ流れるように、滝のように降りてきました。自分で考えているとは思えないほどの速さでした。私は5日間くらい必死で言葉を記録し続けましたが、後から気味が悪くなって全部捨ててしまいました。見たり考えたりした覚えのないものが頭の中にあるのは、とても不快でした。
私は、わけのわからない状況にパニックになって、宗教法人のたて方をググり精神科を受診しようと思いました。柏のキャンパスには、メンタル系のサポートが色々あります。でも、私は恐ろしくて行けませんでした。研究室の先輩も何人か利用していますが、みんなおかしくなって戻ってくるからです。(これは、パニック状態の私の感想です。先輩が奇声をあげているのはデフォなので問題ありませんでした。)
それで、大学となるべく関係なさそうな実家近くの病院へ行きました。ここでは色々な気付きを得ることができましたが、それを書いていると長くなりそうなので割愛します。「悟り」のインパクトが薄れて落ち着いてきた頃、通院に違和感を覚えるようになったので、通院と薬をやめました。先生にはまだやめない方がいいと言われたのでちょっと乱暴だったかもしれません。「私は病気ではない」と唱え続けているうちに、いつの間にか症状はなくなりました。
しばらく経って、高校の同期の友人に会ったので、「世の中の全てのものと一体化する」感覚について話しました。話を聞いてもらうのは安心します。ここで、友人から質問をされました。
質問1:「これは自転車に乗っている時に、自分と自転車が一体化している感覚みたいなもの?」
私はそんなことは考えたことがありませんでした。でも確かに、「自転車」を「地球」に置き換えれば、同じものとして考えられるかも。ここで、「地球」と考えたことで、新たな違和感が生まれました。別に地球に限らなくても、もっと広げていけると思いました。宇宙全体を私として考えるのは壮大すぎて面倒くさいな、と思ったところで「私」のサイズは身体と同じくらいの大きさに戻りました。
質問2:「他人も自分ということは、例えば赤ちゃんが泣いている時にどうして泣いているか分かるとか、他人の気持ちが分かって共感できるということ?」
世の中の全てのものは私なので、赤ちゃんも私の一部ですが、やっぱり他人なのでどんな気持ちなのかは分かりません。これは、心臓の筋肉が私の一部なのに意識せずとも動いていることに似ています。
友人からの質問は、私に新たな視点と安心感を与えてくれました。
まとメモ!
・意図せず悟りを開いちゃった時は、焦らず慌てず、落ち着いてそっ閉じしましょう。「落ち着く」ことは「とりあえず再起動」と同じくらい効果的です。
・落ち着く方法はなんでも良いです。
・自我のサイズは割と自由に変えられます。好きな形に切り取って遊んでみよう。